2009年は厄除け開運! 知っておきたい“節分”のこと

CONTENTS
そもそも、節分って?
豆と鬼にまつわるお話
全国各地、ちょっと変わった地方の風習

第1章 そもそも、節分って?

もうすぐ節分。皆さんは、節分にどんな行事を行いますか?節分というと豆まき をイメージしますが、そもそも節分とはどんなもので、なぜ豆まきをするのかご存知でしょうか?まず始めに、節分のいわれについて調べてみました。

節分のいわれは?

「節分」というと、一般的に2月を思い浮かべますよね。でも本来節分は“せち分かれ”とも言い、季節の変わり目の「立春・立夏・立秋・ 立冬の前日」を指す言葉。つまり、節分は2月・5月・8月・11月と、1年に4回あることに。ただ、現在は立春の前日(2月3日)を「節分」と言うのが一般的です。

どうして2月が節分になったの?

本来は1年に4回ある節分ですが、春を迎える=新年を迎えるに等しいくらい大切な節目なため、室町時代頃から節分といえば立春の前日を指すように。立春を新年と考えれば節分は大晦日にあたり、前年の邪気を祓って福を呼び込むために宮中行事として“追儺(ついな)”が行われていました。後世になると、一般の神社やお寺でも節分に豆まきが行われるようになり、江戸時代には民間でも広く行われるようになった、という説があります。


※追儺&豆打ちとは?

追儺は「鬼やらい」「儺(な)やらい」「鬼走り」「厄払い」「厄おとし」などとも呼ばれる宮中行事で、災害や疫病をもたらす悪い鬼を、弓矢や太鼓を用いて追い払うもの。元々は中国から伝わったもので、日本では文武天皇の慶雲3年(706年)に疫病が大流行したため、「おにやらい」を行ったという記録が残っています。また、平安時代には節分に翌年の恵方にある家に宿を取るという風習がありましたが、これが室町時代頃には簡略化され、家の中の恵方にある部屋に移るという風習になり、新しく移る部屋の厄払いのために豆をまいたとか。これも、今の豆まきに繋がっているようです。


なんで豆をまくの?

節分の日に豆まきで鬼退治をするのは、なぜでしょう?
それは、「鬼」という日本語は「陰(おん)」に由来していることから始まります。「陰」とは病、飢饉など目に見えない邪気をさし、そんな恐ろしい出来事は鬼の仕業と考えられていました。だから、1年の節目である立春の前日の節分に、鬼(陰)に豆をぶつけて邪気(おに)を払い、悪疫退散&招福をしようというわけです。以前は豆の他にも米や麦、炭なども使っていたようですが、五穀の中でも収穫量が最も多く、鬼にぶつかった時の音や粒の大きさが適している豆に統一されたのだとか。


※陰とは?

中国の春秋戦国時代に生まれた陰陽思想と五行思想が結びついた “陰陽五行説”の考え方にもとづいていて、陰(マイナス)の気が集中したものを鬼としています。ちなみに、陰陽五行説では、冬から春の節分は陰から陽へ移ることを意味します。


鬼は鬼門へ!豆まきの方法って?

豆まきには“効果的に鬼を追い出す正しい方位”があるそうです。 というのも、文字通り鬼は“鬼門”にいるとされているので、裏鬼門(南西)にいる鬼を表鬼門(北東)へ追い詰めるように豆をまく「鬼門封じ」という方法があります。これは、平安時代の陰陽師が行った邪気払いの儀式からきていて、家中の鬼を表鬼門へ追いつめて追い出してから「福」を招き入れる、という方法。「部屋の奥から玄関に向かって豆まきをする」という家庭もあると思いますが、表鬼門にあたる方角が部屋の奥になる場合、「鬼門封じ」では部屋の奥に向かって豆をまくことになりますね。諸説ある豆まきの方法、あなたのお家はどっち派ですか?

豆はいくつ食べる? 年の数 or 年の数+1

江戸時代の宮中では、天皇が三度豆をまいた後に土器から年の数だけ豆を食べられたそう。一方、徳川将軍家では老中が豆まきを行い、将軍の祝いの膳には三方に年の数に一つ加えた数の大豆をのせ、鴨の焼物、大鷺(さぎ)の吸物などと一緒に食べたとか。地方によって、年の数だけ食べる場合と、自分の年に一つ加えた数を食べるのと二つの考え方があるのは、こんな歴史背景の影響もあるかもしれませんね。

 

【節分マメ知識】
節分は、季節の変わり目に邪気をはらう行事ですが、鰯(いわし)の頭を柊に刺して 玄関先につるすのは、鬼の嫌いな臭いと鬼の目を突くという柊のトゲで鬼退治をする 風習に由来します。ちなみに、鰯は塩焼きは勿論、蒲焼や生姜煮、天ぷら、お寿司 など、食べ方もいろいろ。しかも、タウリンやDHA、カルシウム、鉄分などの栄養も 豊富。鰯の頭は鬼退治に、身もおいしく食べて邪気を追い払いましょう。

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